2021年5月のこと (生と死の間)

インスタやブログ上ではいつものトーンで投稿を続けてきましたが、ここ1~2か月間プライベートで実は色々なことがありました。

2021年5月は、悲しくて泣いて、人の優しさに触れて泣いて、感情を全方向に揺さぶられたひと月でした。私よりももっと辛い経験や悲しい経験をしている人はたくさんいらっしゃると思いますし、もしかするとこの程度でそんなに?と思われるかもしれません。
ですが、私個人としては非常に辛い時期でした。

不幸自慢をしたいわけでも、誰かに慰めてほしいわけでもないのですが、なかなか浄化できない想いをそっと、このブログに吐き出させて下さい。

― 何かが起こりそうな予兆

15年前に他界した父方の祖父。祖父は生前、私のことをとても可愛がってくれて、私もそんな祖父が大好きなおじいちゃん子でした。

祖父が亡くなった後、一年に一度くらいの頻度で、私の夢に出てきては色々な示唆をくれるのですが、ある夜、今までに見たことのないようなとびきりの笑顔で夢にでてきたんです。

夢の中で会話をした記憶はありませんが、とにかく祖父の眩しい笑みが印象的で、不思議な夢だったことを覚えています。

亡くなった祖父母が笑っている夢は、良いことが起こる予兆とよく言われますが、これは何かの知らせだろうかと、その時、胸の内で予感しました。

― 妊娠発覚

祖父の夢を見てから1ヶ月後。3月から4月にかけて仕事がピークで忙しかった頃、体調に異変を感じ始めました。

常に身体がポカポカほてっていて、異常に眠い。胃のムカつきがひどく、なんとなく食欲も減退・・

これはもしや?と思い、検査をしてみたところ、

検査薬に現れた縦線。

結果は陽性でした。

私たち夫婦は子どもができるのを望んでいたため、私は夫の帰宅後、早速報告をしました。

夫も突然の報告にとても喜んでくれました。

そして、後日病院で妊娠を正式に確認し、マタニティライフがスタートしたのです。

― 期待に胸を膨らませる日々

私の場合、軽い胃のムカつきや眠気はあったものの悪阻はひどくなく、いつも通り仕事や日常生活を送ることができていました。

よく言われる食の好み変化は若干ありました。まず脂っこいものは受け付けず、あれだけ毎日食べていたパンもなんとなく食べたくなくなってしまいました。(←これが一番驚きです)
その代わりにさっぱりしたものや酸っぱいものなど、口当たりが良いものを好むようになり、ひたすらスープやヨーグルト、フルーツを食べていました。

妊娠発覚後、最初のひと月は3~4回ほど病院を受診。
その度に、少しずつ大きくなっていく小さな命を見て感動。

夫も、私が持ち帰った超音波検査の写真を見ては、まだ形にもなっていない胎芽に対して「いや〜可愛い」とデレデレし、私のお腹に話しかけていました。音が聴こえるようになるのはまだまだ先なのに、気が早い夫は絵本を買ってきて読む練習をしていました。

まだまだ安定期ではないので、万が一のことがあるとわかりつつも、初めての妊娠に二人で期待に胸を膨らませる日々でした。

― 順調だと思われたものの・・

7週の検査で心拍が確認できました。

ところが、10週目に近づいた頃、突然茶色い出血が出始めました。
出血は初めてのことだったので、赤ちゃんの心拍が止まっていないか不安に思いつつ、ちょうどその日は果検査の日だったのでそのまま病院を受診。

しかし、不安に思っていたのも束の間、検査では無事に元気な心拍の音が聴こえ、子宮の中も異常はなし。「出血は妊娠初期によくあることなので、特別安静にする必要もなく心配はないだろう」との診断でした。そして、母子手帳を受け取るように指示をいただいたので、その足で母子手帳を受け取りに行きました。

私はほっと胸をなでおろしましたが、とはいえ出血は心配だったので念のためしばらくは安静にして過ごすようにしていました。

そんなある夜、祖母が私の子どもらしき3歳くらいの(夫似の)男の子の手を引きながら長い階段を上っていく夢を見ました。私は必死で追いかけたのですが・・

そこで夢が覚め、なんとなく嫌な予感がし始めます。

そして、その後も出血はおさまる気配はなく、徐々に増えていき、それと同時に生理痛のような腹痛も出始めました。

これはやっぱりおかしい・・ということで不安が募り眠ることさえままならなくなってしまったので、4日後、再度病院へ駆け込みました。

― 心拍が止まっていますね

この言葉を主治医から聞いたとき、身体の感覚がだんだんなくなっていくような気がしました。赤ちゃんの心拍が止まっている様子が静かに映像に映し出される一方、徐々に早くなる私の鼓動。

わけがわからなくなりました。色んなものをその場で吐きそうになりました。

診察の結果、”流産”の診断でした。

まだまだ流産の可能性は高い時期。そうとは頭の中でわかっていたのに、いざ自分がそうなると覚悟ができているはずもなく。

病院帰りの夜道。夫に泣きじゃくりながら電話。
いつも帰りが22時をまわる夫もその日は早く仕事を切り上げて帰ってきてくれました。

後から気がついたことですが、そういえばこの日は、亡くなった祖父の誕生日でした。

― 周囲の方々の優しさ

しばらくは何もする気が起きず、ベットの上で言葉にできない喪失感に苛まれながら「これからどうしようか…」とモヤモヤ考えながら過ごしました。

落ち込んでいても何も解決せず、前を向いて次に進むしかないとわかっていても、私のお腹にたった一つの小さな生命が宿っていたことは確かで、一度で良いから抱きしめたかった、どんな子だったんだろうか、私のもとにきてくれてありがとう。そんな言葉が思い浮かんでは消えての繰り返し。

食べ物の味も感じず、眠ることもできず、”もぬけの殻”というのはこのことなのでしょうか。

夫は、そんな私をまるっと受け入れてくれ、できる限り側にいて支えてくれました。

私の報告を聞いた両親も私のことを心配し、翌日、車で片道6時間かけて、私の好物をたくさん袋につめて駆けつけてくれました。

義理の両親も「辛かったね、自分を責めないでね。」と温かなメッセージを届けてくれました。

事情を知っていた職場の上司や後輩も、「今は自分のことを第一にして下さいね」と、仕事や休暇を調整して下さいました。

そんな周りの方々の優しさに触れ、また号泣。感謝の気持ちでいっぱいになり、本当に心が救われました。

― 新たな一歩を踏み出そうとした矢先の出来事

周囲の方々に支えていただいたお陰で、冷静になることができ、次のステップに進むために流産の手術を受けることを決めました。

手術までの2週間は、自分で焼いたパンを頬張りながら「一緒にたべたかったね〜」とお腹に向かって話しかけたり、お気に入りの場所を散歩したりしながら最後のお別れまでの期間を自分なりに過ごしました。

そして迎えた手術の日。

夫に見送られながら、1人早朝の病院へ。

高層ビルの中にある清潔で広い院内。機械的でマニュアル化しているスタッフの方の対応にどこか寂しさを感じつつも、そのお陰で心を無にできたので、逆に有り難かったかもしれません。

手術室にはいると手際よく段取りを進めるスタッフの方々。静脈麻酔を打たれ、あっという間に意識がなくなり、ふと目覚めると既に手術は終わっていました。

本当に一瞬の出来事でした。

意識が戻り、気持ち悪さやふらつきと闘いつつ寝たり起きたりを繰り返しながら2時間後にようやく動けるようになり、帰宅の準備。

夫が迎えにきてくれ、意識が朦朧とする中、タクシーで家に向かいました。

― まさかの出来事

父から、予想もしていなかった知らせが入りました。

「おばあちゃんが亡くなりました」

まさか。。

父方の祖母は足が悪くて5年ほど前から施設に入っていましたが、特に病気はしておらず、つい数日前にも元気な様子の写真が送られてきていたばかりでした。

祖母は90歳を超えていたので、いつなにがあってもおかしくはありませんでしたが、それでも私の心には大ダメージで。

3日後、精神的にも体力的にもボロボロの状態で実家に帰り、お通夜と葬儀に参列。

なんだかわけがわからないまま、喪主である父を手伝い、小さく冷たくなった祖母の顔を撫でながらお別れの時間を過ごしました。

おばあちゃん、今まで可愛がってくれてありがとう。地元から東京へ出るときも、イギリスへ行くときも、「どこにいてもいいから、とにかく元気でいてくれることが一番嬉しいからね」って、私の道を否定せず、いつも応援してくれたおばあちゃん。

私が小さい時、よくおんぶして近所のスーパーまで連れて行ってくれたよね。

おばあちゃんが毎年お正月についてくれたお餅、食べたいな。

おばあちゃんにひ孫の顔見せたかったな。

おばあちゃんは、私の子と一緒に天国に上っていってくれたのかな。

もしそうなら、おじいちゃんの元に届けて、二人で面倒みてくれたら嬉しいな。

おばあちゃんが私の子の手を引いて階段を上っていくあの夢は、正夢になったということなのだろうか。

― 悲しみを乗り越えて

今、完全に気持が整理できたかと言うと、やはりまだ思い出すと涙が溢れてきます。

でも、ようやく前を向いて進んでいこうという気持ちになり、夫と話し相手を重ねながら次へ向けての一歩を踏み出しました。

諸々の偶然から、祖父母が

「今のタイミングじゃないよ」

って言ってくれているような気がしたり。

そう思うと、少し前向きな気持ちになれます。

流産したという事実は辛いですが、決して全てが無駄だったわけではありませんでした。

短い期間ですが、親の気持ちを体験したことで夫も私も意識が変わり、夫との絆が深まったような気がしますし、この経験を通じて他の人が抱える痛みや辛さも少しは理解できるようになったかもしれません。

また、あらためて周りの人に支えられながら生きていることを実感し、感謝の気持ちが一層強くなりました。

この先、どんな未来が待っているのか、自分の思い描いた将来を実現できるいるか、それは誰にもわかりません。

そんな中、今私にできることは、目の前に存在する確かなもの、例えば、家族や友人、職場や仕事。これらを大切にして1日を積み重ねていくこと。

足元にある小さな幸せ、その存在を蔑ろにせず、少しずつ拾い集めながら生きていきたいと思います。

今この文章を読んで下さっている皆さま。私のプライベートな話にも関わらず長文をここまで読んでくださってありがとうございました。

こんなことをブログに書くのはどうなんだ?と賛否両論あるかと思いますが、私の想いをそっと受け止めていただけると幸いです。

重ね重ね、お付き合いいただきありがとうございました。

8 thoughts on “2021年5月のこと (生と死の間)

  1. 初めまして。サワードウ に取り憑かれて1年と少し。そのご縁でたまたま発見したcotoさんの素敵なブログを度々拝見しています。これまでレシピやパン作りのコツなど、いろいろと学ばせていただいていました。ありがとうございます。今回の投稿を読み、なんとも言えない感情が込み上げてきて、コメント欄に何か書かずにはいられない衝動にかられました。立て続けに起こった辛いご経験をブログに綴る強さが、cotoさんの魅力なんですね。私自身は高齢で2人の娘をどうにか授かった身です。きっと新たな扉が開いたり、向こうから気持ちのいい風が吹いてきたりすることでしょう。陰ながら応援しています。(途中の文章がアップされてしまい、ごめんなさい。もし差し支えがありましたら、こちらも削除していただいても大丈夫ですので。)

    1. takaさん
      はじめまして。温かなメッセージ本当にありがとうございます。この長文を読んで下さった上にコメントまでいただけて、私のために貴重なお時間を割いて下さったtakaさんのお気持ちに感謝の気持ちでいっぱいです。
      takaさんのお言葉、とても励みになります。また、このブログに思いをぶつけたことで、気持ちがスッキリした部分もありますし、お陰さまで前向きな気持ちになることができました。
      サワードウブレッド作りがお好きとのことで、このブログをご覧いただきとても嬉しいです。takaさんのように同じ趣味を持つ方々と情報交換したりしてコミュニティを広げていけたらいいなと考えておりますので、何かあればお気軽にメッセージ下さいね。これからもよろしくお願い致します。

  2. 初めまして、山下と申します
    お辛かったことでしょう
    言葉は簡単で、辛いお気持ちは本人にしかわかりませんが、
    きっと守ってくださいますよ。
    少しずつ少しづつ。。無理されずお過ごしください

    1. 山下さん
      メッセージありがとうございます。
      山下さんの温かなお気持ちを感じ、とても励みになりました。少しずつではありますが、これから前を向いてやっていきたいと思います。
      私のために貴重な時間を割いてコメントを書いてくださったこと、感激しております。
      重ねてありがとうございました。

  3. 経験者でお気持ちとてもよく分かります。
    ひとりひとり違うだろうとも思いますが。
    時間が経って思うこと。
    たくさん泣いてください。
    でも決してご自分を責めないでくださいね。
    ご自分の身体を許していたわってください。
    そして美味しいパンを焼いて、時間が経ったら、小さな楽しいこと、嬉しいことをたくさん見つけてください。
    そしたら大丈夫です。

    差し出がましくすみません。
    いつも美味しそうなパンの投稿楽しみにしています。

    1. yamauchiさん
      ご自身の経験をシェアして下さり、ありがとうございます。実体験からの一つ一つのお言葉がとても心に沁み入ります。
      小さな喜びや楽しみを見つけているうちにきっといつの間にか笑顔になって前に進んでいるんだろうな、とyamauchiさんのお言葉で想像することができました。
      貴重なお時間を割いてブログを読み、温かなメッセージを送って下さいましたこと、あらためて感謝いたします。

  4. こんにちは。

    いつもInstagramを拝見しています!

    お辛い経験でしたね。。。
    でも、ご主人様との絆が深まったり、周りの優しさに気付かれたり、、本当にそうなんですよね。

    きっと、また出会えますから、、
    出逢ってくださいね〜

    私も結婚10年目に今3歳になる息子を妊娠し出産しました。
    でも、その10年間に3度の流産を経験しました。
    とても辛かったけれど、本当に意味のある大切なかけがえのない経験だと思っています。

    3回目の流産の手術の時、麻酔から目覚めると、、、ちょうど産まれたばかりの赤ちゃんの産声が聞こえてきたんです!

    傍から見たら辛いと思うかと思う出来事だと思うのですが、、看護師さんにも『今赤ちゃん生まれたんですか?』と聞くと『聞こえましたか?お辛い時にごめんなさい』と言われましたが、、、
    私は本当に幸せに満たされたのです。。。
    不思議ですけど、、、幸せいっぱい包まれた感覚でした。

    そんなこんながあり、4回目の妊娠でギリ30代で出産しました〜

    だから きっと、、、一番いいタイミングで来てくれると思います!

    なんだか、投稿との時差があり過ぎでごめんなさい〜汗

    1. まめさん、優しいお言葉に加えてご自身の経験をシェアして下さってありがとうございます。
      流産は辛いですし、しなくて済むならそれに越したことはないですが、決して意味がないものではないですよね。
      それによって得られたものもたくさんありました。
      そうですね、きっとベストなタイミングがあるのだろうと信じて、前を向いていきたいと思います。

      いつもインスタも見て下さってありがとうございます。
      今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

You may also like these